柿ざわ 蛤そば (阿佐ヶ谷)

阿佐ヶ谷の路地裏、凛とした空気が流れる「柿ざわ」。冬にいただいた下仁田葱の甘み、衣に染みたつゆが忘れられず、今度は、春の訪れを告げる品を求めて再び暖簾をくぐる。
店内を見渡せば、人生の先輩方がゆるりと酒や蕎麦を愉しむ、相変わらずの穏やかな光景。この落ち着きこそが、この店の美徳。お目当ての「季節のそば」に目をやれば、そこには「蛤」の文字。心の中で小さく快哉を叫び、迷わず注文を済ませる。
ほどなくして運ばれてきた、春を湛えた一器。蓋を開ければ、目に飛び込むのは立派な殻を携えた、大ぶりなはまぐりが三つ。そして、磯の香を運ぶ生海苔。驚かされたのは、そのつゆの佇まい。一般的な醤油色のそれではなく、まるで極上の「潮汁」を思わせる、淡く、ほんのりと白濁した仕立て。
まずは、そのつゆを一口。口中に広がるのは、はまぐりの上品でいて濃密な甘み。雑味のない、どこまでも澄んだ海の慈しみ。そこに添えられた針生姜が、心憎い。ピリッとした微かな刺激が、淡い味わいの輪郭を鮮やかに縁取り、風味をいっそう引き立てる名脇役。
主役のはまぐりは、熱が入ってもなお、むっちりと太った見事なもの。噛み締めるたびに、閉じ込められていた旨味がじわりじわりと溢れ出す。蕎麦を啜れば、生海苔の風味が絡み合い、鼻へ抜ける香りはまさに春の息吹そのもの。
冬の葱も佳かったが、この春の昂揚感もまた格別。店を出れば、先ほどまでの余韻が心地よく、家路につく足取りも心なしか軽やか。春の陽気に誘われて、少し浮足立ちそうになる自分を、そっと宥めながら歩く幸せ。
【お店情報】
柿ざわ 阿佐谷南1-47−8 地図











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